園内のみどころ
後楽園内にあるお勧めスポットのご紹介
藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和三十五年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。 園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。 現在もこの景観の保全につとめています。
能舞台の周囲の座敷は、能の見所(けんしょ)や接待の場として使われました。 築庭した池田綱政(いけだつなまさ)は、家臣や領民にも能を見せました。 次の藩主継政(つぐまさ)の時に改築され、戦災で焼失後、その間取りが復元されました。
この一帯は二色が岡と呼ばれ昔は山桜と楓が季節ごとに彩りを変える趣向の林でした。 戦後、長らく杉を中心とした林となっていましたが、現在、築庭当時の姿を再生するため、杉などの伐採と山桜・楓などの植栽が進められています(令和6年度完了予定)。 ここには、茂松庵(もしょうあん)、四天王堂(してんのうどう)、地蔵堂(じぞうどう)があります。
この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海(いってんしかい)」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。 池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちてきます。
園内の六鎮守の一つ。 二色が岡の中に、静かにまつられています。
藩主が城から舟で渡ってきた時の舟着場の跡で、舟溜まりと園内側の土手に御成御門(おなりごもん)まで続く雁木(がんぎ、階段)がありました。 ここから出入りできたのは、藩主と藩主の特別な許しを得た者だけでした。 平成23年、24年の発掘調査で、江戸時代に描かれた絵図と同じ場所から雁木が見つかり、現在はその遺構を展示しています。
戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。 この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。
唯心山は池田綱政(いけだつなまさ)の子、継政(つぐまさ)の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。 山腹には唯心堂(ゆいしんどう)があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。
中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました。 戦災をまぬがれた建物の一つで、簡素なたたずまいを今に伝えています。
六月上旬には白や紫などの見事な花を咲かせ、梅雨の季節に趣があります。 曲水に板を渡した八橋(やつはし)のそばには杜若(かきつばた)があります。 『伊勢物語(いせものがたり)』の「東下り(あずまくだり)」の段にちなんだ、風雅な情景となっています。
築庭当時は山桜などの入り交じった景色で、池辺には花交という名の建物があり、池や滝にはその名が残りました。 江戸時代の和歌には、花の色が滝の水によってさらに美しく見えるという風情が詠まれています。
もとは利休堂(りきゅうどう)といい、幕末の岡山藩家老の下屋敷(しもやしき)から移築された茶室で、千利休を祀っていました。 戦災で焼失し、昭和三十六年に再建し、岡山出身で日本に茶を伝えた栄西禅師を合祀したため茶祖堂と改めました。
梅林は幕末近くなってできました。 今では紅白あわせて約百本の木が他の花に先がけて春を告げ、詩歌の題材として好まれています。 梅林に続いて、桜林と楓林の千入の森(ちしおのもり)があります。
春の芽吹きと、錦織りなす秋の紅葉が美しい楓林で、古くから園内名勝の一つです。 千入とは幾度も染めるという意味で、築庭当時からこの名が付いています。 園路をへだてた向かいには、弁財天堂(べんざいてんどう)と稲荷宮(いなりぐう)があります。
昔は園内に広く田畑が作られていましたが、今は井田だけがそのなごりを伝えています。 井田とは中国周時代の田租法で、本園では幕末に田畑の一部を井田の形に作りました。 毎年六月の第二日曜日には、お田植え祭を行っています。
築庭当時からこの位置にあり背景のゆるやかな曲線を描く土手山と調和しています。 江戸時代には、ここで作った葉茶は、藩主がふだんに飲むお茶として使われました。 毎年五月の第三日曜日には、茶つみ祭を行っています。
池田綱政(いけだつなまさ)が元禄十年(一六九七年)に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は、空堂となっています。 境内(けいだい)には、花崗岩(かこうがん)を三十六個に割って組み上げた烏帽子岩(えぼしいわ)、門、板張の腰掛などが残っています。
園内中央にある池で、左から島茶屋(しまぢゃや)のある中の島(なかのしま)、釣殿(つりどの)のある御野島(みのしま)、白砂青松が美しい砂利島(じゃりじま)があります。 中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。
後楽園は、藩主の楽しみの場としてだけでなく、文武両道を怠らぬよう武芸の稽古場も設けられています。 家臣が馬術・弓術の上達ぶりを藩主の前で披露するという行事が行われ、藩主は観騎亭・観射亭からその様子を見ました。
昭和31年、岡山の旧制第六高等学校に学んだことのある中国科学院の郭沫若(かくまつじゃく)氏から、戦後途絶えたままであったタンチョウ2羽が贈られました。 その後、釧路市の協力もあり多くが生まれ育ち、その美しい姿が園内によみがえりました。現在では8羽飼育しています。
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岡山後楽園
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更新日:2023年03月22日