- 現在のページ
-
- ホーム
- 歴史・概要
- 後楽園とは
- 後楽園にみる建物や景観の今昔
- 4.廉池軒と唯心山
4.廉池軒と唯心山
昔 −むかし−

築庭当時の廉池軒の周囲です。池に架け渡した切石の石橋、小島などの配置がほぼ同じデザインで伝わっています。池には蓮が描かれています。
綱政は廉池軒で朝食をとったり、後楽園の管理にあたる奉行に褒美を渡すなどした記録があり、ここをよく利用したようです。
当時の建物前には、池を通して前面には田畑が広がり、視線の右手には春の若葉が紅い葉の楓で彩られた小高い築山があります。人工的な庭と里の風景が同居した空間だったようです。
今 −いま−

綱政の子継政[つぐまさ]の時代に唯心山を築き、廉池軒の池からひょうたん池を通して沢の池に水を運ぶ仕組みに変わりました。
継政の時代にはひょうたん池の西岸はまだ田んぼでしたが、治政の時代に倹約のため田畑を耕作していた人々をやめさせ、田畑を芝生に変えます。その後、沢の池の東は再び田畑に戻されますが、延養亭から廉池軒の間の田んぼは芝生のまま残されます。この改変で、廉池軒前に現在のような芝生と水が幾重にも広がる景観ができたのです。
唯心山は継政が作らせた約6メートルの築山で、庭を上から眺めたり、歩いて楽しむ要素が備わってきました。山頂からは延養亭、芝生の広がり、沢の池の全貌、井田など園内の景観を眺めることができます。


この記事に関するお問い合わせ先
岡山後楽園
〒703-8257
岡山市北区後楽園1-5
電話番号:086-272-1148
ファックス:086-272-1147
更新日:2023年05月02日