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4.後楽園の変化 -後楽園の歴史あれこれ-

更新日:2019年04月09日

 綱政の子継政が高さ約6メートルの唯心山[ゆいしんざん]を築き、そのふもとに水路を巡らせ、沢の池と廉池軒の池を結ぶひょうたん池を掘らせています。
 また、能舞台の周辺の建物も大きく改築しました。この改変で園内に高みができ、庭を巡り歩いても楽しい回遊性が備わってきました。

唯心山と水路

 継政の孫治政は倹約のため、田畑の耕作に当たっていた人々をやめさせ、田畑を芝生に変えました。延養亭から廉池軒までの田んぼが芝生に変わったことで、これ以後は水路が灌漑用水から芝生を割ってゆったりと流れる「曲水」となります。一時期は芝生の庭園となりますが、その後すぐに東側の大半は田畑へと戻ります。現在の井田[せいでん]はその名残です。
 後楽園の景観は、こうした時代ごとの変化が積み重なってできています。

治政の改変で芝生となった(園路より左側)

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