詩歌句碑と顕彰碑
後楽園内に建立されている詩歌句碑と顕彰碑
岡山後楽園には、岡山にゆかりのある人々の詩歌句碑や顕彰碑が建設されております。
本園の四季を彩る、樹木や花々と共に庭園美を楽しむことができます。
1.竹久夢二詩碑
待てど暮らせど来ぬ人を
宵まち草のやる瀬なさ
今よひは月も出ぬさうな
竹久夢二(たけひさゆめじ)
明治十七年~昭和九年(1884~1934)
岡山県邑久郡本庄村(現邑久町)生れ
画家、詩人、大正浪漫を育む
なお、宵待草の詩碑の横に旧友有本芳水の言葉が副碑として刻まれている
昭和四十一年十月十三日除幕
2.有本芳水詩碑
小とりよ
小鳥よ小鳥うらやまし
うまれ故郷の恋しさに
小とりとなりて春の日を
声はりあげてうたひたや
有本芳水(ありもとほうすい)
明治十九年~昭和五十一年(1858~1943)
兵庫県飾磨生れ(昭和二十年より岡山市上道に定住)
詩人、歌人、教育者
岡山関西中学に学ぶ(明治三十三年~三十八年)
有本芳水詩集で有名
勲四等瑞宝章(昭和四十年)、岡山県文化賞(昭和四十五年)等受賞
なお、東側の台石には元岡山県知事三木行治の言葉が刻してある
昭和三十六年五月十四日除幕
3.奥山朝恭作曲顕彰碑
湊川
青葉しげれる桜井の
里の渡りの夕まぐれ
奥山朝恭(おくやまともやす)
安政五年~昭和十八年(1858~1943)
東京(江戸本所)生れ
音楽教育者、作曲家、西洋料理店主(元浩養軒)岡山師範学校(明治二十六年より九年間)で音楽を教える
「湊川」は兵庫師範学校(明治十二年)在職
中に行軍歌として生徒のために作曲
歌詞は落合直文
五線譜の碑は珍しい
昭和二十九年青葉の頃建立
4.郭沫若詩碑
後楽園仍在
烏城不可尋願
将丹頂鶴作
対立梅林
1955年(昭和三十年)
後楽の園はなほあれど
烏城尋ぬ可からず
願わくは丹頂の鶴をもって
作対して梅林に立たしめん
郭沫若(かくまつじゃく)
光緒十九年~中華人民共和国三十年(1893~1978) 中国四川省生れ 中国科学院長、詩人、歴史学者
第六高等学校(大正四年~七年)に学ぶ 昭和三十年十二月十四日、四十年ぶりに訪日 学術文化使節団長として来岡、後楽園を訪れ、園内に鶴がいなくなっているのを淋しく思ってこの詩を詠まれた。(その翌年二羽の丹頂鶴が贈られてきた)
昭和三十六年四月建立
5.後楽園鶴の碑(由来記)
後楽園の鶴(丹頂)は庭園が造られた時どこからともなく飛んできて住みつきその後、瑞鳥として大事に飼育された。
戦時中に絶滅し、昭和三十一年に中国の郭沫若先生から日中友好のかけ橋として二羽の丹頂が贈られ、それをきっかけに後楽園の象徴として現在も飼育されている
平成元年七月二十四日建立
6.津田永忠顕彰碑
津田永忠(つだながただ)
寛永十七年~宝永四年(1640~1707)
岡山市(弓之町)生れ
岡山藩郡代
岡山藩の藩政確立を主導した重臣
顕彰碑
篆額は池田茂政【もちまさ】
碑文は池田章政治【あきまさ】
書は日下部鳴鶴【めいかく】
明治二十九年十月建立
7.中村憲吉歌碑
春さむき梅の疎林をゆく鶴の高く歩みて枝をくぐらず
中村憲吉(なかむらけんきち)
明治二十二年~昭和九年(1889~1934)
広島県双三郡布野村生れ
「アララギ」派の高名な歌人
この歌は昭和三年来園の折、「梅林の鶴」と題して詠まれた連作七首(文藝春秋に掲載)の中の一つで格調高い名歌である歌集「軽雷集」に収められている
昭和三十一年九月二日除幕
8.鳥獣供養碑
この園をかざりくれし
いまなき鳥獣の霊のため
昭和三十五年六月十八日建立
9.昭和天皇御製の碑
御製
きし近く烏城そびえて旭川
ながれゆたかに春たけむとす
明治三十四年~昭和六十四年(1901~1989)
昭和天皇が昭和四十二年四月、植樹祭に行幸の折、後楽園に立ち寄られ、外苑を散策された時の旭川の印象を、翌年新春歌会始めの御題「川」によせてこの歌を詠まれた
入江侍従次長謹書
昭和四十三年四月九日除幕
10.辻濛雨句碑
春曉の園丁鶴を放ちけり
辻濛雨(つじもうう)
明治十七年~昭和五十一年(1884~1976)
岡山市生れ
歯科医、ホトトギス派俳人、写真家
昭和三十三年四月建立
11.漕の碑
第六高等学校艇友会
昭和四十五年十一月七日建立
12.久郷梅松顕彰碑
久郷梅松(くごううめまつ)
明治十一年~昭和十三年(1878~1938)
富山県生れ
岡山県の林業振興の功労者
昭和三十四年一月建立
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岡山後楽園
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更新日:2022年03月25日